イエス・キリストが明かす
繁栄・成功を招く3大質問
―そして繁栄・成功を締め出す3知的な質問

質問者:人生には、わたしたちは皆成し遂げたいこと、また起こってほしいことがあるんじゃないですか。しかし多くの場合では、挙句の果ては夢が実現しないのです。繁栄や成功をもっとうまく実現させるのにはどうすればいいでしょうか。《質問の要約》
ラージュ(=イエス・キリスト):答えはまさに単純さ。充足を経験するためには、カギは願望だ。
要は願望のでどころだ。
エゴのもたらす概念から生じてくる場合は、願望は効を奏するとは限らない。そんな願望はあなたの存在という運動が展開している事柄と調和するとは限らないからだ。
先ほど言ったように、人生は自分の考えによって展開されるのではない。人生は自分の存在運動が繰り広げている事柄によって展開されるのだ。
それを理解しなければならない。
自分の存在運動を感じ取るために、快く十分に静かにならなければならない。そうすれば、その存在運動の流れている方向が明らかになってくるものだ。そうしたら、繰り広げられている事柄と調子を合わせることができる。そしてそれを願望することができる。
では、自分の中心部に沈んだら、第一に聞ける最も重要な質問は、「自分がどの方向へ進めばいいのか」ということだ。
質問したら、知恵を絞るのではないぞ。
静かになったままで耳を澄ますのだ。自分の存在運動がどうしても自らを満たすからだ。自らを満たすというのは、あなたを満たすということだ。
答えが浮かび上がってきたら、願望すべきものが明らかになる。
そういうわけで、自分の存在運動が繰り広げている事柄を実現させようと脳味噌を絞るのではない。その代わりに自分の中心部の中に沈んだままで、その願望と一緒にととまるのだ。
その願望が自らの実現のためには、必要なエネルギーはその願望自体に含まれている。だからあなたはその願望と一緒にととまるなら、その実現の成り行きを経験するものだ。
実現する途中では、多くの場合では、自分のやってもいいこと、またやってはまずいことが明らかになる。そうしたら自分が何らかの行動をとることになる。
でも最善のやりかたがわかってくるのは、自分が脳味噌を絞った結果ではない。
むしろ霊的ガイダンスが与えられ、そしてあくまでもその霊的ガイダンスに従い、自らを満たしている存在運動の流れに乗っていた結果だ。
自分の存在運動が繰り広げている事柄を突き止めるためには、役に立つ方法がもう一つある。
それは次のことを自問自答することだ。
「自分が本当にしたいことは何?」とだ。
また「自分が本当に楽しむことは何?」とだ。
気を付けなよ。「まじめな人間として自分の楽しむべきことは何?」と問いかけちゃだめだ。また「しっかり者が楽しむことは何?」もだめだ。かつまた「自分が仲間入りしたい連中の楽しむことは何?」もだめだ。
問いかけるのは、「自分の存在運動の楽しむことは何?」ということだ。
それから耳を傾けるのだ。
十分に静かになれ。そして、自分の存在運動に応答してもらうために、その存在運動を十分に尊重するのだ。それから快くその存在運動の流れに乗るのだ。
あなたの存在運動の意図は自らを完全に満たすものだ。だからあなたは頭のてっぺんから足の爪先まで成功に向かっているのだ。
その自らを満たしている営みの運動は存在、すなわち生命を構成している。だから脳味噌を絞るという手段で自分のやりたいことを探ろうとするのを止めろ。答えがむくむくと浮かび上がるまで十分に静かになればいい。
気が急くと、自分がコントロールをしたくなる。
だからじりじりしないようにして、答えが自然に浮かんでくるようにするのだ。答えは最適なタイミングで浮かんでくるものだ。なぜなら自らを満たすということは自分の存在運動の意図だからだ。
したがって、じりじりするということは、エゴが待ち遠しくなっているだけだということを意味している。こうしてエゴの尻が割れ、取り除くべきものがわかる。
こうしてじりじりすることを裏返し、自分のためにすることができる。
あなたの存在運動は決して受動的ではない。意識的な意図を持っている。その意図は自らを満たすということだ。その意図は、生命の原理の直接表現としての自らの実相から生じてくる。
そういうわけで、あなたはエゴ範囲内にいる今のままでも、思い切って、自分の実相に身を委ねることができる。そして自分の実相の中へともたれかかるようにすることもできる。
しかも川をむやみやたらに押そうとしないで、楽々と流れに乗ることもできる。
カリフォルニア州カーメル村
1985年集会の抜粋
チャネラー:P・タトル
英日翻訳者:K・ヤマダ
英語原文 |
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